給湯室へようこそ、コトブキです。
ここ数日、朝晩はかなり涼しく過ごしやすくなりましたね!
今回も【 いろんなところに行きましたシリーズ 】奇跡のテーマパーク大鹿村
どうぞお付き合い下さい。
過去記事はこちら…
(1)「大鹿村の七不思議」とはなんぞや
(2)夜泣き松のお話~菩薩様のおすすめアロマ?!~
(3)弘法大師のイリュージョン、逆さ銀杏
(4)大池~借りたものは返しましょう~
今回は第五回、山塩のお話。
大鹿村の鹿塩温泉のお湯は、海水と同濃度の塩分を含んでいます。
標高750mの山の中なのに。
それを煮詰めて作られる山塩をお土産に買って帰りましたが、
しっとりまろやかで甘みすらあり、とても美味しいんです。
塩の湯
・建御名方命(たてみなかたのみこと/諏訪大社の祭神)が、出雲の神様との力比べに負け、諏訪へ逃げ帰る途中で一時滞在したのが、現在の大鹿村鹿塩地区。
ここで狩りの最中、動物が集まるのを見て、塩泉を発見した。
・塩が貴重品だった昔、村人が塩が無くて困っていたところ、弘法大師が杖でついたところから塩水が湧きだした。
・南北朝時代の宗良親王の城=駿木城(するぎじょう)の遺跡からは、製塩の様子を示すものも発見されている。
なんと神代から始まる、この山塩。
草食動物は尿と一緒にカリウムと多量のナトリウムが出て行ってしまうので、
塩分は摂り続けないとだめだそうです。
なので、鹿などが塩泉に集まるのもあり得るのではないでしょうか。
神話ながら、妙にリアル!
そしてまたも弘法大師様の登場です。この杖が、このあと逆さ銀杏になったのか否か。
このしばらく後の時代に、事業として製塩を行っていた証拠があるのですね。
駿木城・宗良親王といえば、夜泣き松の美祢姫がお仕えした方・・・と、他の七不思議のお話とリンクしてくるのが、おもしろいです。
ん?でも村人が塩が無くて困ってたということは、弘法大師様の時代には、
人々は塩泉のことを知らなかった?いやそんなことはないでしょ、飲めばわかるし。
もしかしてその時代に塩泉が枯れるとか枯れかかるようなことがあって、
塩不足で困ってたところを弘法大師様が…という話なのかな?
それにしても弘法大師様は各地で伝説残しまくりでコトブキはワクワクしっぱなしです。
ところでリアルな話、なぜそんな濃い塩水が湧くんでしょう?
「地下に岩塩の地層があって地下水に浸みて上がってくるんじゃないの」
と思って調査したことが過去いろいろな時代に何度もあったそうですが、
結果、岩塩はありません。今だに謎!
・・・というのが通説のようですが、大鹿村中央構造線博物館様のサイトに、
塩水が湧く理由に関する話が数ページにわたって掲載されています。
(「学習資料」→「謎の鹿塩温泉」、Q&A→「塩の付く地名と塩泉の起源」など)
塩水の秘密は、日本において神代とされる時代よりもさらに昔々、
海深くのプレートが…マグマが…あの…何ですわ………。
それもまだ「一説」らしいですけど、地質に興味のあるかたはぜひ読んでみて下さい。
壮大な話ですよ。
そうそう、この時は、ほぼ弾丸ツアーだったので、
山塩はお土産に買っただけ。温泉には入らなかったんですよ!
先生に行動計画を一任し、コトブキはよく知らずに同行したので、
「いやせっかく行くなら」と塩の湯に入る方向でプランを立てればよかったと
後悔しています。ぜひ、リベンジしたいものです!
さて大鹿村の七不思議、残るは三つ。
ノミがつかない猫 、あくなしわらび 、八つ鹿 のお話です。
お楽しみに♪
★コトブキ★
奇跡のテーマパーク、大鹿村
次回は…(6) のお話。お楽しみに♪
★コトブキ★